その時代の「うまくいった」部分が残っている
サブスクで名作や名演に触れられるというのは、考えてみればかなり贅沢なことです。
いま残っている名作や名演は、その時代の「うまくいった」部分が凝縮されたものです。才能のある作り手がいて、それを支える場があり、受け取る人がいて、熱気があり、作品として記録が残った。そういういろいろな条件が重なって、そこまで届いたものです。
当事者ではない私たちが、そのピークに触れられる
いまその作品にふれる私たちはその時代の当事者ではありません。その場にいたわけでもないし、何かを支えたわけでもない。それなのに、いま手元の画面で、その時代のピークのようなものに触れることができてしまう。これはかなり不思議なことです。
しかし、そこにこそ、サブスクで名作名演を見るおもしろさがあるのではないでしょうか?
あとから来た人間が、その時代が高く届いた場所を受け取れてしまう。いちばんおいしいところだけ味わっているようで、少し申し訳ないくらいですが、でもそれができてしまうのが、いまの時代のすごさでもあります。
自分のために作られたものではないからこその贅沢
しかも、名作や名演のほとんどは、もともと自分のために作られたものではありません。別の時代の、別の場所の、別の事情の中で生まれたものです。だからこそ、いま自分が作品を通して、そこに触れることには、ちょっとした背伸びの感じがあります。
文化遺産の再発見を、自分の手でやってみる
大げさに言えば、文化遺産の再発見を自分の手でやってみるようなものかもしれません。
昔の人たちが残した偉業を、いまの自分が見つけて、受け取れてしまう。サブスクには、そういう贅沢がある気がします。
昔なら、こういうものに触れるにはもっと手間がかかったはずです。何が名作なのかを知るにも、人に聞いたり、本を読んだり、店に通ったりしなければならなかったでしょうし、実際に見るにもそれなりの機会が必要だったと思います。
それがいまは、月額料金の中に普通に並んでいる。軽い気持ちで開いたアプリの中に、何十年も残ってきた作品が混ざっている。そのこと自体、やはり少し変といっていいくらい恵まれています。
だから、見ないのはもったいない
もちろん、本当はその場の熱狂まで含めて味わえたら、もっとすごいのでしょう。でも、あとから来た人間には、あとから来た人間なりの楽しみがあります。当時の空気を知らないままでも、ただ再生して、その熱さに触れてみることができる。それだけでも十分に面白い。
せっかく、そういうものが手の届くところにあるのだから、見ないのはもったいない。
サブスクで名作名演を見るというのは、便利さ以上に、時代のピークを後から受け取れる贅沢なのだと思います。